2009年3月

 子供というのは時として答えにくい質問をしてきます。「兄弟の中でいちばん可愛いのは誰か」などと訊いてくるので油断がなりません。大人であっても、例えば女性に年齢を尋ねるのは失礼なこととされますし、「私と仕事と、どっちが大事なの」などは永遠に答えのでることのない問いでしょう。本来訊くべきでない質問というものはあるように思います。
 国会の答弁や証人喚問など、嘘をついたりはぐらかしたりしてはならない場というのはあるものです。学会などでも実りある学術活動には厳しい質疑応答が欠かせないと考えられます。公式な場ではお互いが徹底的に話し合い、物事を明らかにすることは特に大切なのでしょう。けれども日常では、何でもずけずけ訊いてくる人と果たして仲良くなれるでしょうか。「そっとしておいてあげなよ」という気持ちが深い思いやりである場面もあるものです。
 納得するとかもっと詳しく知りたいという欲求は、科学的思考と民主主義が浸透した世の中では当然と言えます。しかし物事はこうあるべきだとか自分はこういうあり方が好きだ、という考え方や好みの違いは千差万別、十人十色です。自分とは違う考え方をする人の話をいくら聞いても、すぐに納得はできないときがあります。いくら言葉を尽くしてみても人に納得してもらえる説明をすることの難しさは、仕事をしている中で日々痛感するところです。
 「教えて下さい」という情報公開の要求と「それはお答えできません」という機密保持や個人情報保護との対立は社会的に問題になることもあり、なかなか明確なルールづくりが難しいようです。また身近なところでは、自分のことは知られたくないが人のことは知りたいという身勝手な欲求が見え隠れすることもあります。知る権利と知られたくない権利、何が明らかにされるべきで何はそっとしておくべきなのか。これは人が大勢集まって生きていく以上ずっと我々を悩ませていくことなのでしょう。
 しかしうちの子が冒頭の質問を繰り返した時には何と答えたらいいのか。どなたか教えて頂けないでしょうか…

もみじ3月号 四方山話より