2008年6月
 先日の中国四川省での大地震では、数万に上る犠牲者が出て現在も被災者は大変な生活を強いられています。日本からも救援部隊が派遣されて活動していますが、被害に遭って電気も水道も寸断された生活を送っている人々にとって救援の手は何より必要なものでしょう。自分たちがもしも同じような災害にみまわれたらいったいどうなるか。考え出せば不安にはきりがありません。
 先日当院でも地震による火災を想定した避難訓練を実施致しました。災害に備えるには自分たちでできる手段を普段から講じておくことが大切です。しかし実際に罹災したときには、やはり人からの助けもないことには災害のダメージから回復することは困難でしょう。体育館などで避難生活を送ることになったとしても、お互い助け合いの精神がなくては立ちゆかないだろうということは容易に想像できます。
 地震災害の予防や災害からの速やかな復旧には、耐震構造の強化や救援体制の整備など普段からの準備が必要です。しかしこうしたことにはお金がかかりますし、誰かがそのお金を負担しなくてはなりません。自分が無事に暮らしている時には、防災のため、みんなのためにお金を出すのには抵抗があるかもしれません。人を頼らず自分の身は自分で守る、という考え方は立派だと思います。しかし災害に遭ってしまったときには自ずと限界もあるものです。地震に限らず急病の時は救急車や救急病院のお世話になりますし、火事なら消防署、事故や事件なら警察と、困ったときには様々な人に助けてもらうことになります。自分は事故や災害には絶対に遭わないと言い切れるでしょうか。お互い様ということを考えれば、余裕のある時に事故や災害への対策に協力しておくこともできるような気がします。
 節目節目、何事につけ税金や負担金とはしっかり取られていくものだなということは誰でも痛感するところです。 しかし消防や救急といった災害時の救援体制は国や県に基盤があるわけで、そのためには普段から支払っておくべきものもあるはずです。税金の無駄遣いや不正な流用の報道は珍しくありませんが、我々の払ったお金が正しく使われることを只々願うばかりです。
 
もみじ6月号 四方山話より