2007年8月
 だいぶん前のことと申し上げましょうか、スピード違反で車を止められたことがありました。何キロオーバーであったかは忘れましたがもちろん明らかな違反でありまして、しっかり減点を頂戴致しました。しかしそのとき少なからず驚いたのが対応したお巡りさんの非常な腰の低さでした。「お忙しいところ大変申し訳ありませんが…」とでも言わんばかりの丁寧さで、悪いことをしたのは一体どちらの方だか分からない位の低姿勢。もちろん警察の方がみなさんあそこまで御丁寧という訳ではないのでしょうが、市民への奉仕の姿勢が徹底しているのだなあと感じました。
 私が中学生の頃は校内暴力が社会問題化していた時代の少し後で、厳しい指導の一環として先生が生徒に手を上げる光景が学校で日常的にみられました。それが最近では先生たちが父兄からの要求やクレームへの対応に苦慮することも多く、生徒への体罰どころか教職員の方々の“うつ”や離職が増加しているそうです。厳しくとも筋の通った先生には当時の子供たちも敬意を払ったものですが、今はなかなかそうもいかないようで先生方も大変だろうと思います。
 私はどういう訳か子供の頃から人様に怒られることの多い生活を送っておりまして、特に中学時代と医者になりたての頃は我ながらよくもまあ次から次へ毎日お小言を頂戴して暮らしていたものだと思います。しかし当時怒られながら教えられたことが、自分の血肉となって体に染みついているようでもあります。昨今の教育論や指導論では相手を褒めることや理解と共感を示すことばかりが強調されているようですが、本当にそれでいいのかなと疑問を感じることはないでしょうか。歌舞伎の世界では、若い役者を駄目にしようと思ったら褒めることだと言うそうです。怒られたり叱られたりするのが良いという訳ではありませんが、本当に相手のためを思う態度とはどういうものかと考えさせられます。
 うちの娘はどうも最近気に入らないことがあると泣いたりわめいたりが激しいのですが、そのやかましさに負けず娘は厳しくしつけねばならぬ、とどこまでできるか分からない決意を新たにしております。
もみじ8月号 四方山話より