2007年2月
 最近『微妙な距離感』という面白い言葉が住宅会社のCMに出てきています。定年を迎える年代のご夫婦に向けた住宅の宣伝らしく、別に話をするわけでもぴったりくっついているわけでもないけれど、互いの存在が確認しあえる距離という意味のようです。二人一緒に住んではいても、ずっと顔を付き合わせてはいられないという長年連れ添ったご夫婦の微妙な関係が出ています。「水か空気みたいなもんだよ」などと言われることがよくありますが、どんなに仲の良いお二人でもそうそういつも会話があるわけではないのでしょう。でも離ればなれになって一人で暮らすのは寂しいものです。私自身、特に話し好きというわけでもなく、ましてや話し上手には程遠い人間ですが、全く一人でいるよりも周囲に人がいた方がかえって何かに集中できるということはよくあります。受験シーズンのこの時期、図書館に勉強に出かける高校生も似たようなものですが、辺りに人の気配のあった方が何だか落ち着くというのは私だけではないようです。
 二世帯住宅、スープの冷めない距離等という言葉は以前からあり、家族、親子というのはできるだけ近くに住むようにしたいという思いを持たれる方は多いと思います。しかし違う世代が一緒に暮らすとどうも色々摩擦が生じるということがあるようです。人と人との関わりでもあれこれ世話を焼かれるよりも、それとない気遣いが嬉しいということもよく聞きます。普段特によく話をするという訳でもないあの人が、実は自分のことを心配してくれていたと人づてに聞いたときには随分と心強い思いがします。
 携帯電話やメールなど、離れたところから言葉で連絡を取り合う手段は格段に進歩した世の中です。けれど傍にいる、近くにいるということにも、たとえそれが具体的な言葉や行動といった形にならなくとも、たったそれだけでも大きな意味があると思います。くっついたり離れたり、時に向き合って話し合いまたしばらくは挨拶だけ、時には喧嘩もしたりする、でもやっぱりお互いのことを気にかけている。微妙な距離感というのはなかなか奥深く、味のあるもののようです。
もみじ2月号 四方山話より