2006年8月

原爆記念日や終戦記念日のある8月が近づいたからという訳でもないでしょうが、日本の国内外で戦争に関するニュースが最近増えたようです。同時に年端もいかぬ子供や青少年が加害者や被害者になる、いたましい事件も数多く報道されます。この二つの現象は何処かでつながっているのでしょうか。国家間は当然のこと、個人の間でも利害や感情の衝突は当たり前に起こります。夫婦げんかや職場、町内でのもめ事はその典型でしょう。ただ対立する相手を力でねじ伏せようというやり方が行きすぎると、お互いにとって悲しい事態が起こるようです。
 ドメスティック・バイオレンスとかセクシャル・ハラスメントなどという横文字は我々の耳にも大分馴染んでいます。要は暴力ということなのでしょうが、父親や学校の先生が悪ガキに拳骨を入れたり、子供同士が殴り合いの喧嘩をしたりすることなどがめっきり少なくなった今の世間で、逆に暴力や犯罪というものがとらえどころのない広がりを見せているのは不気味な感じがします。暴力という言葉を聞いたとき、我々はどちらかというと自分が暴力の被害者になったところを考えがちになります。ただ言葉の暴力などということを思い起こすと、現実には図らずも加害者になってしまう危険も潜んでいます。自分が人に暴力をふるうことも十分有り得るということには、案外無自覚な方もおられるようです。
 浮き世の風に吹かれ世間の荒波を泳いで行くには、強くあらねばならんと言われます。国同士の争いだって、ただ話せば分かるというだけでは解決への見通しは立ちにくいようです。しかし男性と女性とはどちらの方が強いのかという問には答えが出ないように、人間の強さや力というものは本当に不思議です。小さくとも国際社会に確固たる地歩を築いている国もありますし、重い病のある人が凛とした威厳を示す瞬間に心を打たれることもあります。人の強さには様々な形があるようです。
 医者の世界には鬼手仏心という言葉があり、強さと優しさは表裏一体と考えられます。生き抜くための力を磨くことを考えながらも、この8月にはまた改めて平和な暮らしの有難さを噛みしめたいと思います。

もみじ8月号 四方山話より