2006年5月

ちょっと前のことですが、偽のメールをめぐって国会が大揺れになりました。偽りの情報を元に人を責めるというのはいけないことですが、そのほか偽造に偽装、隠蔽に改ざん等々嘘いつわりに関する事件は毎日山のようにニュースをにぎわせています。「嘘をついてはいけません」というのは我々も子供の頃から何度もたたき込まれた、社会生活の基本となる規律でしょう。この規律なくしてはまともな世の中の維持は難しいでしょうし、「あの人はよく嘘をつく」という評判が立ってしまったら社会的信用はゼロに近くなります。医療の世界でも事実をしっかりカルテに記録しておくことは欠かせません。しかし本当の事を言っていれば、それでいいのかというと、どうもそうでもないようです。忘れてしまいたい事実を思い出して苦しんだり、触れて欲しくない真実を執拗に追究されることで、傷ついたり不快になったりすることもあります。同じ事実を伝えるにも言い方ひとつで受け取る方の気持ちも随分変わります。医師から患者さんへの説明などは最たるもので、「あなたの状態はかくかくしかじかですよ」と事実や結果だけをボンと告げられても不安が増すばかりだ、という不満をお持ちの方もおられるようです。真実というものも時に慎重に扱うことが求められます。いいか悪いかは別として、実際の人間の生活には大小様々な嘘が溢れていますし、嘘も方便とも言われます。国会や裁判所など社会的影響の大きいところでは真実や事実が厳しく追及されて然るべきですが、身近な暮らしの中では「本当なんだから仕方ないでしょう」というだけでは救われない時があります。嘘まではつかなくても、夫婦や友人の間柄、仕事上の付き合いなどがギスギスしないように、時には事実にちょっと脚色を加えたり、冗談を言ったりすることが許されてもいいでしょう。例えば少し体重が増えた時でも「より恰幅がよくなった」「ふくよかになった」などと表現する手もあります。最近物忘れがひどくなったなと思ったら「細かいことにはこだわらなくなった」と言うのはどうでしょう。嘘をつくのは勿論いけませんが、真実ありのままから、ちょっと見方の角度を変えてみるのも楽しそうです。

もみじ5月号 四方山話より