2006年3月

3月となり年度末となりますと、身の回りを整理する必要に迫られることが多々あります。整理といっても不要なものを処分するかどうかの判断が多いのですが、これがなかなか悩ましい。あちこちのご家庭でも「これもう使わないでしょう、捨てちゃうわよ。」「いや、まだ捨てちゃ困る。」などという会話はよく見られるのではないでしょうか。
無駄をなくすというのは正しいことでしょうし、どんな仕事でも最近は可能な限り余計な時間や物は切りつめることが求められる時代です。余分なものを省いて、テンポよく、効率よく、すっきりと仕事をすすめるというのは仕事に関わる人にとっても、サービスを受ける人にとっても気持ちのいいものです。ただ「あれは無駄だ。」「そんなこと意味がない。」というような言葉の響きが、私はどうも好きになれません。なにが無意味で、何が大切なことなのか、そう簡単にわかるものなのでしょうか。
悪者、余計者と思われていた生き物が実は大切な役割も持っていた、ということは森林や河川の生物たちでよく見られるそうです。我々の身体でも、悪者の代表のように言われる細菌の退治に躍起になりすぎると却ってためにならないこともあります。川でも野山でも、多種多様な生き物が、互いに関係しあって生きる世界の方が、全体としては繁栄していくようです。蛇やサメのような悪役も、カタツムリやクラゲのようなのんびり屋も、全て本来存在する意味があるのであり、豊かな海や山を維持するには生物の種類は多いほどよいと言われます。
最近若い人に、自分自身に価値を見出せない、自信を持てないといって悩む人が増えているそうです。世の中の厳しさに適応できないと言ってしまえばそれまでですが、無駄、駄目、意味がない、拒否するなどと世に溢れる否定的な言葉には大人でもうんざりすることがあります。今はそんなに目立った働きはしていなくても、誰にでもどんな物にでも活躍の場は有り得るでしょうし、そう考えた方が毎日楽しく過ごせそうです。
これを書いている私の机の脇には要るのか要らないのかよくわからない本や雑誌が山ほどありますが、いつかは役に立つでしょうと考えることにします。こんなことだから私の部屋はいつも乱雑なのでしょうか。

もみじ3月号 四方山話より