2006年2月

昨年の流行語に「小泉劇場」がありました。総選挙に際して非常に明快でわかりやすい論点を設定してイエスかノーかを求める手法は、普段政治にあまり興味を持たない人にまで選挙に目を向けさせました。どうも最近はわかりやすさが随分もてはやされるのでしょうか。金融や人間関係、人生論など大人向けの内容でも、絵本や漫画という形で沢山出版されるようになりました。映画や小説でも、アニメーションやファンタジーなど以前は子供向けだった分野が「感動した」「元気をもらった」と大人達にも好評です。私なども学生時代、わかりにくい講義には居眠りばかりしていたものでした。簡単で平易なものは私たちを手っ取り早く納得させてくれますが、難解で理解に骨の折れることはつい敬遠しがちになります。わかりやすいとは大変結構なことですが、わかったような気になるということの危なさは案外話題にはされません。「熟年離婚」も流行語でした。長年連れ添った人でも実は何を考え、行い、感じているのか理解することは難しいということでしょうか。すぐ傍らにいる人でさえそうだとすれば、現実には、はっきりわからないことやうまく説明できないことが溢れていそうです。その中でこれはこうなんだと頭から決めつけたり思いこんだりするのはちょっと恐い時もあります。
 私が美しいと感じる表現に「酸いも甘いも噛み分ける」という言葉があります。長年の風雪を経た大人の分別が、ややこしい人の世を上手にさばいていく様が感じられます。全く世の中は一筋縄では行かず、つい最近まで時代の寵児ともてはやされた人が、今日のニュースでは大悪党のように貶められたりします。善玉の英雄が憎むべき悪人をやっつけるという構図はわかりやすくて爽快ですが、弱さも真面目さも狡さも優しさも色々なものを一緒くたに抱え込んだ生身の人間の悩みは尽きることがないようです。私が「酸いも甘いも」の域に達するにはまだ相当の修養が必要ですが、決めつけることや思いこむことの怖さは医療に携わる上でも忘れることができません。・・・すみません、私の話はわかりにくかったでしょうか。

もみじ2月号 四方山話より