2005年8月

 先日息子の幼稚園の関係で教会に行ってきました。私はクリスチャンではないので観光以外の目的で教会に足を踏み入れるのは初めてです。建物はしっかりした造りで、風格を感じさせますが簡素で飾り気はありません。全く普通の外見や服装をした聖歌隊の歌の見事な響き、構内でのスリッパや椅子の出し入れにも近くにいる人たちが自然に協力しあう雰囲気など、私には新鮮な経験でした。ふと病院や学校、寺院や教会とは古くから人の暮らしや社会に欠くべからざるものとして存在していることを思い出しました。聖職者と医師は世に古くからある専門職という点でも共通しています。別に医師は聖職者であるというつもりはありませんし、私などは到底そんな立派な人物とは言えません。ただ病院とはどういう存在であるべきかと考えるとき、そうした歴史的な背景は無関係ではないように思います。病院とは少なくとも商売をするということより学校や教会の方に近いものではないか、そんな気がします。利益をあげることよりも、自分の使命を果たすことを活動の原動力にしているのです。
 全国でも評判の高い病院に、宗教との関連が深いところが少なくないのは偶然なのでしょうか。
先日、2012年のオリンピックの開催地がロンドンに決定しました。パリ、ニューヨークといった強敵相手の誘致合戦でしたが各都市のプランの中心にオリンピックの簡素化をめざす方向性がありました。スポーツの祭典であったオリンピックが政治や商業主義に利用された歴史から本来の意義を見直そうという機運は去年のアテネの時にもみられました。それが実際どこまでうまくいっているのかはよくわかりませんが、スポーツをお金や政治のしがらみからできるだけ解放しようという考えは至極健全です。医療もまた然りだと思うのは私だけではないでしょう。
 医療とは何かということ、医療とはどこへ向かうべきなのかということが最近分かりにくくなっているようです。日々マスコミをにぎわす医療関連の話題は何を示しているのか。我々は何故ここにいて、日々何をすべきなのか。それは日常の診療に追われながらも常に現代の医療従事者に突きつけられる問題なのでしょう。皆様のご意見に耳を傾けながらも杉本クリニックの模索は続いていきます。ただ宗教法人に変わる予定は今のところございません。

もみじ8月号 四方山話より