2005年4月

「もったいない」という日本語が最近見直されています。外国のノーベル賞受賞者の方が我々の国のこの言葉に感銘を受け、今盛んに世界中でもったいないという考え方を広めようとされているそうです。考えてみれば現在30代の私の世代になりますと、今までこの言葉にどれほどの切実感を持ったことがあるか少し疑問です。食事指導の際に「沢山食べたらいけんて言われるけど捨てるのはもったいないけえ、つい残さず全部食べてしまうんじゃ」と言われる患者さんが少なからずおられます。戦時中、戦後にかけての頃は食べ物が十分手に入らなかったという経験をされておられる方も多いことでしょう。終戦から戦後の混乱期に比較すれば現在の我々の生活は信じられない程恵まれているということは当時を経験された多くの方から聞いています。食べ物はもちろん、日常の生活に必要なものが手に入らないということはまず考えられないのが現代の日本です。
物の溢れた現代では壊れたものを修理してまた使うよりは新しく買い直した方が安くて便利だ、という考え方が主流のように感じます。自動車でも服や靴、家具など何でもいいのですが、一つのものを長い年月手入れしながら大切に使っているという話はあまり聞かなくなりました。「もったいない」には物に恵まれた環境に感謝するという気持ちも含まれているのでしょう。何か対象を見つけてそれに愛着をもつ態度とも言えるのかもしれません。そんな日本に従来からある美徳が薄れてきているとしたらどうでしょう。相手が物ならそれでもいいのですが、人への愛着や感謝の気持ちも薄れてしまっていたら寂しいことです。物なら取り替えがききますが、人はそれぞれがかけがえのない存在です。人間同士の関係だって時には壊れそうになりますが、それを修復しようとせずにあっさり捨てるような考え方が広がってはいないでしょうか。
感謝にしても愛着にしても、自分中心の考え方からは出てこないものでしょう。「もったいない」が見直される背景には、自分の身の回りにあるものを当然と考えがちな世の中の傾向を感じます。今年は戦後60年ということですが当時の物のない生活の記憶というものは、私のような戦争に無縁の世代も上の世代から受け継いでいく必要があるようです。

もみじ4月号 四方山話より