2005年10月

秋深し、隣は何をする人ぞ10月にもなって参りますと、単純な私の頭には語呂のいいこの言葉が意味もなく浮かんできます。本当の意味はよく分らないのですが、しんと静まった秋の夜長にお隣の生活の気配を感じるような雰囲気がないでしょうか。日本の家屋がほとんど木造でアルミサッシなど考えられもしなかった時代に成り立った言葉なのでしょう。お隣の物音は否応なしに聞こえてきたでしょうし、こちらもうっかり大きな音や声は立てられなかったと思います。ご近所同士、色々気を遣い合うことも今以上に多かったのでしょう。現代では建物の防音は進み、アパート、マンションなど人の出入りの激しい環境が増えていますし、近所付き合いなんて煩わしいと感じる人も増えているようです。隣人とは家が近い人ばかりでなく、普段の生活でよく顔を合わせる人も含まれるかもしれません。よく買い物に行く店の人、同じ病院に通っている人、近くの職場で働く人、と考えてみれば現代の我々の生活は無数の隣人に囲まれて成り立っているようです。そしてこうした隣人同士の付き合いが次第に疎遠になっているとしたらどうでしょう。周りからああだこうだと言わるのはうるさいとか、いろいろと世話を焼かれるのは気を遣うのでうっとうしいなどと感じる方もおられるかもしれません。またせっかくこちらから声をかけても、素っ気なくされたり却ってこちらのことを悪く言われたりしてはつまらない、と思うこともあるでしょう。スーパーやコンビニの普及で、人と話さなくても日常の買い物には不自由しません。しかし様々に悩み苦しむことも少なくない現実の生活のなかで、人と声を掛け合って暮らしていけるというのは煩わしさ以上に良いことも多いのではないでしょうか。 当院の患者さんでもご近所さんの車に乗せて貰って病院に来た、畑でとれたものをおすそわけした、など近隣の方との結びつきや助けあいの習慣をしっかりと持っている方はおられます。家族が遠方にいる場合などに、こうした関係は本当に暮らしの支えになるようです。また災害時の備えや防犯の意味からも近隣の連帯は重要だと言われています。物音や土地の境界などでお隣同士がもめることもまたよくある話で、人間同士ですから時にぶつかることもあるのでしょうが、お互い近くにいるのも何かの縁と考え周囲との交流を大切にする生活もなかなか悪くないと思います。

もみじ10月号 四方山話より