2004年6月 第1号

先日久しぶりに飲みにでかけまして、バーに入ったんですが、まあ普通のショットバーで、仲間とテーブルを囲んで水割りやカクテルを頼んで。それだけといえばそれだけなんですが、やはり、なんというか、いいもんですね。ささやかな楽しみといいますか。

しかし、内科の医者の仕事というのは人から楽しみを奪うためにあるのかなあと思うときがあります。最近は特に生活習慣病などといって、糖尿病、高血圧を目の敵みたいにして、こちらも学会で提唱されている基準に則ってですね、患者さんにむかってやれタバコは吸うな、甘い物は控えろ、酒の量を減らせ、なんて言っては「先生、それじゃあ楽しみがのうなってしまうが」などと恨まれているわけです。

仕事がうまくいかない、家庭内にもめ事がある、体調が思わしくないなどと、思い悩むことが生活には付き物である半面、どなたでも何か日々の暮らしの中に楽しみをお持ちなのではないかと思います。それが晩酌だったりおやつだったりすると医者から止めろといわれて素直にハイそうですかとは言えないのが普通でしょう。それでも血圧のため、血糖値のために、止めろ、控えろと言わざるを得ないところに我々の仕事のつらいところがあります。例え自分の楽しみを減らしても、その代りにすぐ収入が増えるわけでも、子供がよく言うことを聞いてくれるようになるわけでもないんですよね。じゃあ、ある種の楽しみを取り上げる半面、新しい生活の楽しみ方を探してみるのはどうか。

趣味や外食、旅行に行楽といったわかりやすい楽しみの他に、わりと小さくて微妙な楽しみ、幸せというものを暮らしのなかで感じることはないでしょうか。しかもケーキを食べるとかお酒を飲むとかいうこととはちょっと違った幸せ。それはね、あると思うんですよ、確かに。皆さんにも思い出して見て頂きたいのですが。

今日は阪神が勝った(阪神ファンに限る)、靴を買いに行ったら店員さんが男前で親切で、しかも気に入ったものが買えた(女性に限る)、銀行に行ったら窓口の女性が美人で愛想がよかった(男性に限る)、今日は娘と和やかに話ができた(お父さん)、ちょっと体調を崩しただけなのに周りの人がすごく心配してくれた、エレベーターの中で小さな子供と目があったらニッコリしてくれた、等々。そして、一見些細なことにも幸せを感じられるというのは、一種の才能、一種の知恵と言えると思います。

あれはだめ、これはいかんと禁止するばかりでなく、ほんの少しでいいから日常生活の中に楽しみや幸せを感じられるようなことを皆さんに提案できたらなあ、と思います。そういうガイドラインを学会も作ってくれないものでしょうか。