2004年10月

最近あちらこちらで「勝ち組」「負け組」という言葉を目や耳にするようになったと思われませんか。私の手元にも「“勝ち組病院”になるための経営セミナー」という具合に銘打った案内が頻繁に送られてきます。あれは一体何なのでしょう。

例えば誰かから「あなたは勝ち組ですね」と言われれば、まあ悪い気はしないでしょうが、いきなり「あなたは負け組だ」などと決めつけられたら「放っておいてくれ!」と言い返したくなりそうです。週刊誌や新刊書の宣伝で見かけるように話の種として大企業や有名人を勝ち負けで分類してみるのは面白くないこともないでしょうが、「ああ、私は負け組だ」と実際に落ちこんだり焦ったりする人が増えているとすればあまり喜べません。

人や物事のありようを勝ち負け、良い悪いという単純な分類の仕方で片づけてしまうことには私はどうも抵抗を感じます。「塞翁が馬」という故事がありますが、何が良いことで何が悪いことか、何が幸運で何が不運かということには、そう簡単に答えが出ない場合が多いように思います。「仕事の都合で嫌々引っ越してきた町が意外と住みやすかった」、「自分とはそりが合わないと思っていた人が困った時に助けてくれた」などと日々の暮らしでも意外な展開を経験することがあります。ある日ある時の状態を指してすぐに断定的な結論を出す前に、状況の変化をよく見守っていくという姿勢も悪くはないと思うのですが。

科学や技術の進歩によって、知りたいことを調べたり離れた場所へ移動したりするのにかかる時間は確かにどんどん短くなっています。世の中が益々便利にスピードアップされていく中で、ゆっくり状況を見てみましょう、まあ様子を見守りましょうという態度はのんびりしすぎでしょうか。50年前と今を比べてみたらどうでしょう。機械や道具は大幅に進歩しましたが、子供が成長し大人が年を取るのにかかる時間はそんなに変わらないはずです。いつの時代になっても生身の人間が抱える問題というのは、結論が出るまで割と時間がかかるものではないでしょうか。

セミナーの案内をくれる人には申し訳ないのですが、杉本クリニックはあわてて勝ち組とやらを目指すことはない予定です。焦らず急がず行きましょう、と考えております。